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テスト返却 2009年6月?

テストが帰ってきたのは、テストが終わって2週間ほど過ぎた頃だった
先生が家に来て、テストを置いていった
英国理社…見て行くと、決して悪い数字じゃない
むしろ、70点80点代と上のほうであった
数学は…できてない事は理解していたが…
衝撃の21点だった
殆どが因数分解問題で、全滅していた

おかげで、5教科で300ちょいという結果だった
軽くへこんだけど、まぁいい。

次回は1ヵ月後だ

????????????????????????

話は少し変わるが、不登校の人を
さぼる、ずるい 等と思う人が多すぎると思う
不登校だからって何がいけないのか良く分からない
ずるいんなら、お前もサボればいい
俺は行きたくないから行かないんじゃなくて
行けないから、行ってないだけだ

けどそんなの、見ただけじゃ分からない

サボるってのはわざとであり、いけない事かもしれないが
行ってない人はサボるというより
そこは自分の場所では無いという気持ちのほうが強いと思う
(行くつもりが無い人は

それに、ずるいって言ったって
ちゃんとした高校には入りにくいし、
勉強できる環境も無い
人生において圧倒的に不利になるんだ

普通に行ってる人の1000倍くらいメンドクサイ道を進む事になる

俺たちは朝早くから行ってんのに
学校行ってない奴らはー…みたいなね

学校行ってなくてもフリースクールで鬼婆と学校以上の時間勉強してるわ!
休憩も5分しかないし…
見たいな人は、結構居ます

分かってもらえる日は、不登校の偏見がなくなる日は
来るのでしょうか…?



↑塾の資料請求です
資料だけなのでここからやってみてくれると、嬉しいです
ここは、評判もいいので是非
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不登校中学生、学校へ

中学3年 6月

中学3年は毎月 定期テストがあった
5教科 時期の変わり目にはその他の科目も

テストは嫌いじゃなかった
いくら高い点を取ろうとも、低い点を取ろうとも
宝くじの当選番号をチェックするみたいなワクワク感があった
中学最高得点、89点
中学最低得点、21点

89点は昔の英語 21点は6月の今日、数学のテストの出来事だった
自宅で勉強。勉強。

学校の授業はまだ因数分解をやっていて
テスト範囲を聞いてなかった俺は
調子に乗ってか、授業速度を知らず焦っていたかで
平方根まで進んだ。いわゆる√だ

テストは不登校の俺にとって学校に行かなければならない、嫌なものだった
しかも、毎月ある 最悪だぜ。。
行く日が近づくだけでドキドキした、同時に体調も悪くなった気がした。

けれど、教室には行かず
教室に通えない人達の学級があった
年齢も、性別も関係ない。

そこでテストをする事になった
けれど、そこの人達も人は好きじゃない
仕方ないという事で普段、鍵の掛かっている部屋に招待された

畑をするときのビニール
床には土がところどころに
机には埃が…

普通の教室に畑の用具を追いといたような汚い部屋でテストをした
1人ぼっち。静か。埃っぽい。
先生は居ない 家でやるのと同じだろ

チャイム。懐かしい
数学開始
√Come on!♪ √Come on!♪Hey!

そんな気持ち
来るか?
ふっ(
まずは因数分解か
こんなの… えっと 確か …違う んーと。んとねー

わからん、というか忘れた。パス。


つ・ぎ・は?♪
因数分解 ちぇっ 
次。因数分解 あ、別のパターンだ

√どこ?
ペラリ。テストの裏面を見る

因数分解
少数
分数
証明…

√無いやん!!!!!
驚きのあまり関西弁に…はなってなかったと思うけど
同時に因数分解を忘れた分がカバーできないと分かり焦り、顔面蒼白(だったと思う
貧乏揺すり

適当に。チャイム&終了

この日のテストは終わった
理科室が隣にあるのだが歩いて行く音、喋り声
それを聞いて不意に怖くなった
顔を出したくない。足音が収まるまで俺は土臭い教室に篭っていた。

不登校、家を買…わない 2009年6月?

いいタイトルが思いつかず
家を買ってやろうかというタイトルになった
結局あれ家を買ったのかなぁ?どうなの?二宮君…

それはいいとして
週2で外出するようになった自分のその後?

起きてる時間は寝てる時間と同じくらいだったと思う
お昼近くまで寝てPCやってTV見てご飯食って、寝て。。

それの繰り返し
早く起きなきゃと心で思っていても
起きる必要性が無いだけ心が油断する…

何でもいいから起きなきゃいけない理由がないと
起きれない様になってる気がする
もちろん、人によるけど…

それとも、朝が来るのが嫌なのか
また、同じ1日が始まる…っていう

それで次の日もまた遅く起きて、勉強して、PCして…

いつか変わらなきゃいけない そう思っていた
その日が1日1日と近づいてきた 第2兵器の襲来だ…




自分の家は写真を撮らない家だったから
あるのが小学校の写真くらいしかなくて

写真は思い出の付箋…らしいので
撮っといたらよかったなぁと、そんな気もします
旅行とか行っても一切写真撮らなかったし…



こういう写真集も作ってみたいな

これから写真撮る時期も多いので紹介しました!

世界に1つだけの写真集だって




いいなぁ?!

不登校は、まだ続く 2009年5月?

不登校と化した俺は
朝起きて体調悪くなつ所から始まり
親が会社に出て行くと
憎まれ口を聞かなくてすむせいか
1階でPCずくめの日があったり
部屋で英語の教科書を読み尽くす日もあった

英語は楽しい
少なくとも日本の過去を振り返る社会よりは
現代の海外を学べる英語は好きだし、楽しかった
だから公式書きまくったり
アメリカで1番人気の速読ソフト!!

これ買って聞いたり、
あの父親がお金出してまでこれ買ってくれた



有名会社SON〇だと英語が話せないと部長以上だか課長以上になれないらしい
(TOEIC600越えとか
んで、読み方のわからない俺に(独学だもので)買ってくれた
英語面白くなるから聞いてみるといいと思います

聞いて1年位たつけど結構聞き取れるようになった
買う前は読めないのが結構あったし
Rhythmって何?位だったからねー
その事だけは感謝してるかな

他にもビリヤードにはまって台作る事も考えて設計図の作り方学んで
設計作ったり、ある意味悠々自適な日々が続いた

けれど、不登校ライフを侵害する第1兵器を
親が懐に隠しているのを知ったのは
そのすぐ後の出来事だった…


不登校からの脱却 2009年4月 中学3年

中学2年生という時間は家で過ごし、終わった
春休み、そして中学3年生になった

1日目は休み、土日休み
その日曜の夜の事だった
親が部屋に来て
『明日から学校行くか?』
そう、唐突に言ってきた
自分の中では二度と行く来は無かったが
何となく流れで不登校になった為
親は最後の学校へ行くチャンスだと思い聞いてきたのだろう

自分は優柔不断だ
いや、心の中では決めきっていても口に出すことは無い。
そういう意味で優柔不断だ
絶対に揺るがない決意はあるのだが
それを言い出すことは殆ど無い

その為、親に2度と行かない。
そう言えばすぐ終わるのに言えなかった
10分、20分…

そういえば中1の頃好きになった人を
呼び出しておいて、結局好きって自分の口から言えなかったな…
(むこうが私のこと好き?→うん ってなった)
お互い気持ち知ってたのにね

話が逸れた。

何十分もたって親が
『明日行かなければ2度と行こうと思うことは無いんじゃないか?』
…そう言ってきた

ようやく、自分の口から『…行かない』
そう言った いや、言えた。

納得して(?)親は部屋を出て行った
その時は簡単に部屋から出て行ったのでしっくりこなかった
いつもならもっと言ってくるだろうに…

親は頭がいい 少なくとも俺よりは。
親は俺が行かないと言い出したときの事をすでに考えていた…らしい
だから後に、しっくり来る日が迫っていた
この数日後に完全な不登校を脱却する日が迫っている事は
あの父親しか知らなかった… (あと、神様

→親の頭脳を超えなければ!
元SAPIX・日能研・四谷大塚講師が運営。プロ講師が個別指導。

不登校中@自宅

不登校になってからは
大好きなバスケもやらず家の中にいた

いわゆるひきこもりだ
PCやったりだらだらしたり、ぐうたら状態なわけだ

湯水の如く時間が使われた…
1日って24時間ほんとにある?って言うくらい時間が短かかった気がする

高1になった今の俺もその気分
通信制で家にいるんだけどバイトしないと
学費払えないのにしてなくて
宿題のレポートもやってない
何やってんだよ…はぁ

あ、今は不登校の時代の事書く時だった

当時母親も仕事していなくて家にいた為
昼飯なんかは普通に食えた んで当然太った
165センチで65キロとかあったからな… 重いww

その時期は生きてる心地がしない感じだった
何もせず何のために生きているのか…
死にたいとは思わなかったけど
何かのために生きたいと思った

家でのひきこもりは続く…
何もせず時間だけを費やす日々が…



←鬱に効果あるんだって、不思議だね??

不登校になりました 2009年 中学2年2月?

学校との接点はほぼなくなった

学校に行くということが学校生活において
1番の接点であるわけだから
ほぼ無くなって当然とは言えるが…

他のクラスの友達は学校に来なくなった事をすぐには知れないし
クラスメートでさえ1週間くらい休まないと
もう来ないという事を感ずくのは難しい

プリントは先生が持ってきたし、
家に来る用事のある人もいない

これで中学の学校生活は幕を閉じた…

…まぁ後に数回行くけど




不登校になる為に 中学2年2月 

実際、不登校になるといっても
その為には学校行きなさい! 
と言う親を黙らせる(変なイミぢゃないよっ
もしくは学校に行きたくないことを理解させる… 等
親無くして休むことは出来ないことは明らかだ

まぁ、逆切れして行かねぇよ位言えば休めたかもしれないが
うちの親は父親が殴るプロ母親が怒るプロ(ボクサーとかってイミぢゃないです
って言うくらい両方怒ったならば怖いんで逆切れは出来なかった

そして、俺自身も変にプライドの高いガキだったんで
『学校行きたくない…』とは言い出せなかった
だから、行動で示すことにした 
今となっては小さい奴だな…なんて思うな

行動はいたって簡単
父親が会社に行った後、午前8時ごろに
トイレに行って体調の悪いフリをして(実際悪い時もあったけど
トイレにひきこもる トイレなら鍵あるし無理に向こうがすることも無い

それで15分くらいひきこもってると『8時15分過ぎてるよ学校どうすんの
って声が聞こえてくる そこですかさず『きょ…今日は休むー…』と
親は内心今日もだろっ って思ってたかも、しれないが…

それを繰り返していると学校へ行くなんて気持ちもどうでもよくなり
ひきこもり状態が始まるようになった

毎朝母親が学校に休む連絡をして、週末にはプリントを先生が持ってきてくれた
そのとき先生が、朝休む連絡をしなくていいから
学校に来るときだけ連絡をくれと言って帰った

不登校というこっち側の人にその時初めてなってしまったのだと感じた…












私は不登校です。 中学2年2月

保健室を利用した早退もとうとう嫌気がさし、
学校に行かないことを選択した

いや、正しくは学校に行かない以外に道は無かった
今更早退するのをやめて毎日過ごすなんてやりきれない気持ちになる
なにより、そこにいたくなかった

学校に行かないということは、
偏差値の高い学校を諦めるという事にもなる
学校に行って授業に出ないと内申点が下がる…
それにより、学校に行かないことを最後まで選択しなかったんだと思う

俺の親と兄は同じ高校、しかも自分の県の中でもトップクラスの学校だ
周りの地域を見てもその学校が圧倒的に1番だった
俺もそこに進む気持ちは少しあった
けど、学校に行かなくなるという事は
その学校への進学はほぼ不可能になるという事だった

けれど、学校に行き続けることは無かった
その学校への進学はほぼ諦めた気持ちで学校を休み始める事となった

自分の不登校において不幸中の幸いというのは
現在中学2年2月、つまり受験まで1年以上あることだった



不登校になるまで? 中学2年2月

不登校を決意した俺は、学校に行って
早退して帰ってくることすら嫌になっていた

決意する前は遅刻ぎりぎりで行って気分で早退していた

早退の基準は37.0度を超える熱があった場合

先生に保健室へ行く時の紙を記入してもらい
授業が始まって誰もいなくなったら階段の影なんかで
体温を上げるべくジャンプしたり、走った

体温が下がる前に保健室へ行き、息切れを隠し
体温を測る

2月の寒いときなので体温が上がらない
そんな時は温度を見るフリをして
脇に挟まれている体温計めがけて呼吸と見せかけ
息を吐いて温度上昇を試みる

時には、カイロを脇に挟んで体温を測ることもあった
気付くと40度を超えていて慌てる事も多々あった

…最新の3秒で計れる様な体温計じゃなくて、よかった

そんな事も、学校に行かないという決意と共になくなるのだった…







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高校についての資料などは
色々な記事に貼ってあるので
気軽に見ていただければ幸いです

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